団体生活って理不尽だなと思うのです

無意味なことまで「社会勉強」を口実に、子どもに強制する大人たち - 女教師ブログ

今日、上のエントリで引用いただきまして、でも何だか妙に腑に落ちなくて。
腑に落ちない感覚が何でかわからなくて、つい反論めいたことをぐるぐると頭の中でかけめぐらせていたのですが、今さっき、やっと、なんとなく理由がわかった気がしたので、ダイアリでお返事を書こうと思った次第です。


先のエントリで書かれている

社会に出たら、たとえ嫌でもやらなければならないことはたくさんあるのだから、30人31脚も「嫌な子どもがいるから止めるべき」というのはおかしい

は、私の考えとは少し違うのですよね。


多分、「理不尽に感じていた対象」がやや違っていたのではないかと思います。
私が今回の件で理不尽に感じていたのは、団体生活ゆえの理不尽でした。
たとえ誰か、やりたくない人がいても、その場で大勢が「やろう」という流れになっていると、なかなか参加しないわけにはいかないものです。団体競技ではなおさらです。


そういったものを理不尽に感じていたので、次のように書いていました。

「社会に生きること」を学ぶに、クラス全員参加自体は問題ないかと。学校行事なんて概ね全部そうだしねぇ

書き方が足りなかったかもしれません。


クラス全員参加だとしても、したくないという子が多数であれば、参加しない事だってできます。けれど、したいという子が多数に上れば、参加したくない子も参加した方が良いと言う空気になるかもしれません。団体生活(=社会)の理不尽です。
多数決で何かが決められるのは、組織などの団体で生きる社会では避けては通れない事なのだと思います。
ですから、参加を拒む子が多数でクラスが不参加になる事も、参加したい子が多数で団体として参加しなければならなくなる事も、そのどちらも、結果として団体(社会)の中で生きる事を学ぶことに繋がるのかな、と思った次第です。


余談ですが、私の恩師は「学校とは社会に出る準備をする所」と申していました。私もそうだと思います。
それに、生徒が主体になって、体育祭をなくした学校というのも知っています。(こちらは高校なので、本件とは少し違いますが)


最後の段落で言いたい事がなかなかうまくまとまりませんが、私の考えを理解していただける一助になればと思います。